『ドラゴン桜』と現実の東大 前編

受験全般・メンタル面

「教えてやる!東大は簡単だ!」

なかなかキャッチーなセリフを全面的に押し出した受験漫画の『ドラゴン桜』ですが、つい昨日ドラマ版の放送が終わったようですね。キャスト豪華すぎやろ。
私としては高2の頃に無印の方を一通り読んだくらいなのでドラマ版との差はあまり理解していないのですが、友達の会話やTwitterの反応を見る限り色々と賛否両論はあるみたいです…笑

そこで、今回は一人の現役東大生という観点からあの作品の教訓などについて(恐らく何回かに分けてかも?)ちょっと意見を書いていきたいと思います。恐らくこれと似たような話は私の質問箱でもいただいたりするので、気になっている内容が出てくるかもしれませんね。

というかしばらくブログの更新が止まって申し訳ないです…。これから細々とまた書き始めようと思いますので何卒よろしくお願いします。

(!!注意!!)
この記事にはドラマ版のドラゴン桜を検索によってかじった程度の知識量で筆者が書いたものですが、多少なりともネタバレを含んでいます。無印版の内容も含んでいる上、ドラマ版限定の展開もあるようですので、未視聴の際はお気をつけください。

そもそもアレは現実的に可能なのか?

ドラマでは瀬戸くんの感動的な逆転合格劇や藤井くんの人間的な成長を見て取れるなど物語的な素晴らしさは相当なものだったと思いますが、一旦それは置いておきましょう。今日のブログでしたいのは大学受験という領域に絞って、

実際問題アレは現実の東大受験において起こりうるものなのか

という話です。
この物語に影響されて私も東大を目指したいと思う方がいるかもしれません。『ドラゴン桜』を著した方もそう仰っていましたし、私としても東大についての関心が高まるようであれば嬉しいです。しかし、そうなった時にあそこまで上手く東大合格まで行けるものなのかというのはかなり大きな問題点です。私なりの意見を簡潔に言いますと、

才能・機会・環境のいずれか一つに恵まれれば再現は可能

と思っています。ただし、あそこまで短期間で上手くいくとは思えませんが。リアルにあの2倍くらいはかかると思いますよ。作中においてはこの中で「機会」に最も焦点が当てられていると思います。現実においてあんな状況は発生し得ませんからね。

桜木が言っていたように、東大受験は戦略やテクニック的な要素もかなり大きいですし、それは小手先ではないものが要求されます。まず学力そのものが戦略的な要素を孕んだもので測られていいのかという話題はまた後にして…。それを創造できるのは個人の才能として持っていた意識なり実力であったり、そうでなくても他人からそうしたものを享受できる環境下にあればそれを機に変えていくことも可能でしょう。要は「ドラゴン桜が再現可能な条件」とはこうしたものだと思います。才能があればこの作品っぽくはならないと思いますがね。

東大に限らず受験の厳しいところ

とはいえ、それがあっただけで上手くいくかは分からないのが世の常です。作中でも厳しさの片鱗を見せていた東大受験自体の難易度が阻んでくるのです。最高難易度の貫禄は正直伊達じゃないです。
確かに、東大受験の難易度感については兼ねてさまざまなところで言われている通り、今の私達の親世代の時と比べればかなり落ちてきているのは事実でしょう。それに加え、教育機会の充実や受験指導の進歩、情報技術の発達によって勉強に必要な方法論や教材へのアクセスも格段と増加しましたし、受かるためのあれこれがいろんな形で準備されてきているというのも事実です。

しかし、そうした環境が整ったからといって同じように上手くいくかと言われればそうではないものです。参考書や教科書の使い方は人によりいくらでも変わりますし、どの参考書が優れているのかなどは初学者に判断できかねます。

また、「勉強法」という方法論がそもそもあまり普及していないのも一問題です。人から適当な環境や機会において受け取ったり自分の才能で組み立てたりしたものを、改めて試行錯誤の末に修正したり止揚したりしながら形を整えていくのが「勉強法」でしょう。「創造はまず真似ることから始める」はここにも通じてくるものだと思います。まあ根本は「創造」の意識の差だとも思いますが。

そうした勉強量や意識を持つ適性を持った人間がどれほどいるかという話です。恐らく機会や環境に恵まれながら力を発揮できない人はここが原因ではないでしょうか。

逆に、今まで勉強への適性を見出していなかった人間や、別分野で向上心を求める意識があった人間がこうした実力を掴むということも往々にしてあります。
漫画版の水野さんやドラマの瀬戸くん、岩崎さんあたりはこの好例ではないですか? というか、こういう人間(特に岩崎さんタイプの人間)は普通にリアルの東大探せばいます。私の友達にリアルで瀬戸くんのような境遇にあった人もいますし。

結果として

先日自分がTwitterの方で意見しましたが、実際大学入試の範疇で言えば、大抵の場合においては誰でも手が届く範囲にあるものだと思います(勿論東京藝術大学みたいな例外はあり)。しかし、この範囲に辿り着くことができるのは、知に対する欲求があり方法論の探究や努力を怠らず、場合によって最後を掴む運の要素を手にできる位置にいた者に限られてくるでしょう。

逆に、その意識があるだけで伸び方は大きく変わるはずです。

それが彼らを含めた多くの東大生を誕生させている一要因なのではないでしょうか。周りの東大生をみていても、大抵無意識的にこうした「基礎の重要性」とか「ノートや解答の再現性」だとか「メタ認知」といったものを考えているように感じますよ。最終回の同日に放送されていた『日曜日の初耳学』で16歳東大合格(凄すぎんか…?)の方も語っていたように、ただ漫然と作業のように問題と睨み合うだけではなく、逆算的かつメタ認知的に自分の勉強法や自分自身についてまで思索を巡らす姿勢があれば良いのです。現に私がほぼ独力で東大理三に到達できたのもそこに対するあんな感じの意識が根本に備わっていたのが大きかったなと、大学に入ってから改めて思ったのです。

まあ東大が簡単かどうかは、作中で見たような生活を「容易い」と感じるかどうかに委ねるとしましょう。恐らく狭い界隈での会話を除いても賛否両論あるくらいですから、これを読んでくださっている方でも思うところは少なからずあるでしょう。そうした意見はぜひ拝聴したい限りですので質問箱や下のコメント等でぜひご意見ください。

後半では、『ドラゴン桜』に登場した合格の◯箇条みたいな格言の中から抜粋したり加えたりした、合格を掴むためにどうするべきなのかというのを多少書いていこうと思います。

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