現役生と浪人生の性質の差

さて、いよいよ本題に戻っていきましょう。ここからはあくまで自分の持論にはなってしまいますが(というか全部そうですが)、これまでの議論を踏まえて、現役生と浪人生の勉強のタイミングを受験前の一年という視野で見てみます。

まず、前提として基礎体力に一年かそれ以上の差があるというのは明らかです。単純に比較して勉強量にただならぬ差が存在する時点でこの差は無視できません。
しかし、それは閾値までの「勉強量」の諸側面の負担にもつながります。ここでいう勉強量は問題集を解いた量とか単純な勉強時間といった素朴なものではなく、「勉強の密度や質によって重みを持たせた勉強時間の量」と言っていいです。これについては「個性」的に無意識に密度高い勉強をできる人もいれば、単純に努力して勉強量を積める人など様々です。
スタートの号砲が鳴った段階では現役生より浪人生の方が実力が上であるというのは普通に考えれば明白ですが(例外あり)、問題はその先です。実力が上がるにつれ勉強量に対する伸び幅は減っていく上に、自分が次の1年で蓄積できる量は絶対的に同じでも、それまで積んできた年月と合わせると浪人生にとっては相対的に(割合で見れば)積める量は減少していることになります。つまり1年間を使ってさらに実力を上げようを思っても、レベルが上がるたびにより密な勉強でないと先に進むことすらできなくなってしまう可能性だってあると思ってます。
そのため、現段階からの伸びの可能性や心理的・能力的・体力的ないずれの負担をとっても現役生の方がまだ楽と言わざるを得ないのではないでしょうか。もちろん合格までに必要な段階はいずれも経験しなければならないのですがね。

そしてもう一つ挙げるのであれば大抵の現役高3生にとって始める時期が遅い理科及び社会においては基礎が完成していない人も多いことであり、これは相当大きなビハインドと言えるでしょう。
教科ごとの性質として国語や英語(特にこの2つ)・数学については②の体系的知識を多く必要とするのに対して、理科や社会については案外基礎知識や典型解法をインプットしておくことでその組み合わせを利用すればある程度の点数は取れることが多いです。というよりは色々と「知恵」の割合が比較的小さいというべきでしょうか。それが理由というのもあって、始める時期を遅くしてでも国数英に最初は力を入れておくべきという指導者が多いのでしょう(根本の理由は国数英が理社のベースになるところだと思うが)。
そのため、理科と社会のビハインドは想像以上に大きなものなのです。しかし、こちらも逆に考えればその基礎定着を最後まできちんと実行することで差の大体は取り返すことができるというのは間違いありません。もちろん浪人生も現役生を待ってくれる訳がないので成長はありますが、大雑把にみれば前ページの①と②を比較することになるので現役生の最後の追い上げと比較してもその速度に限界はあります。

結論+警告

色々とここまで説明を挟んできましたが、結局のところ私としてはこの定説はざっと「正しい」と結論づけています。ただそれは単に現役生の方が伸び代があるからというだけを意味するものではありません。それだけでなくこれまで述べてきた通り、期間的に初めて両者が並ぶ点までの定着度に大きな差がある科目の存在から伸びがあるとも考えやすいです。

しかし大事なのはここからで、理科と社会の二つは他の英語や国語(特にこの二つ)、数学と違って短期間で点数を取得しやすいというのが挙げられます。これが何を言いたいかというと、英語や国語・数学にラスト1年で劇的な伸びを期待している人に望んでいる未来までの光明は薄いということに他なりません。浪人生とて、浪人が成功する人の多くはトップダウン的に予備校講師などから伸びの閾値分を獲得出来た者や現役の段階で当落線ちょい下くらいまでほとんど到達出来ていたものでしょう。その点では現役生の国数英と重なる部分はあります。
すなわち、英数国の伸びの遅さを鑑みれば劇的な伸びが期待できないかもしれないという点で、現役生とてこの話は全く例外ではないというのは全受験生が憚らず銘記すべきことである、と私は大々的に啓発してこの記事を締めくくろうと思います。

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