二、方法論的な観点での勉強の量と質

次はこの話に移ります。

少しだけ逸れますが、多くの大学の参考書をはじめとして受験参考書でも難易度の高い『ハイレベル理系数学』や『難問題の系統とその解き方』なんかは特に解説に力を入れているわけではありません。内容そのものの濃さに焦点を当てまくっている感じですよね。
が、現段階で私はそれを決して悪いとは思っていません。恐らくですが、参考書がそのレベルの読者層を想定していないからです。

より難易度の高い内容を自分で勉強するとなった際にはその内容の深みをカバーできるだけの咀嚼力、すなわち相応の「質」や莫大な「量」が必要になってくるのです。高校や大学へ進んだ際にそれまで(中学や高校時代)と比較して一気に特定の科目ができなくなってしまったみたいな経験をした方は多いと思いますが、要はこれは本人のそれに対する勉強の「質」や「量」が閾値とのギャップに喰われるようになったのに他ならないと私は考えています。
これを踏まえた上で勉強「法」という視点にしたときにどういう流れで人は学習するのかと言うと、「量」に慣れる/優れた「質」を知るという2つのステップをそれぞれこうした閾値とのギャップに直面したタイミングで経験する事で段階的に成長すると思っています。

私はある内容を勉強しようと思った際に閾値として必要になる「質」と「量」の水準がどんな内容にも存在していると考えています。それに到達していない場合には要は何かが足りないという状態ですので、受験生当時から私も「ここら辺でそもそもの勉強のやり方を見直してみても良いんじゃないか?」という思考に持っていくべきなのかな〜、とかよく考えたりしてました。

加えて私の中での勉強における哲学ですが、勉強内容そのものに関しては継続しないと抜けていく可塑的な面が大きいものの、勉強の許容「量」や「質」自体は行為主体に不可逆的に水準の高低が保存されると考えています。RPGで言えば勉強内容は「技の練度」に、質やなんかは「キャラクターのレベル」に直結しているようなイメージですね。つまりこれまでの話を踏まえてここで何が言いたいかというと、

将来的にアカデミアの中での生活を多少なりとも考えている人間は、高校などの直接的な師が存在している内にこれ以降に対応できるよう、最低限自分の勉強の「質」をあげる努力や苦悩をしてほしい

ということです。
参考書を選ぶ際には、

①新しい段階の勉強に取り組み初めの頃はまず量に慣れるため基礎演習量を重視しよう
②次に解説が豊富な参考書を選んで所謂「質の高い」視点を重視して勉強しよう
③ここまで知れたならあとは難度の高いものも参考書を選ばずなんとかなるはず!

という流れが個人的な理想です。

まとめ

さて、ここまで長ったらしく色々書いてきましたが、正直勉強の方法論とかいうものはどこまで行っても議論に尽きないものでしょう。大学入学したてで私がブログに書いている内容と少しづつ時間の経過につれて内容が変化してきているのがその証拠です。
皆さんには「正しい」勉強法なるものを自分の中で探究し、行き詰まった時はこのページに書かれているような内容を思い出してくれたら嬉しいかなあと思います。

それでは、引き続き頑張って下さい。
ちなみに今から俺は大阪桐蔭と聖望学園の試合を見るぜ!!

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