努力は結果を測る定規なのか

受験全般・メンタル面

ryu.です。

ブログのために取り上げられそうな質問ありそうかな〜なんて思いながら探していた中で、この質問を見ていて思ったことがあります。

Question
努力は報われますか?(2020/03/10)

Answer
報われるかは時の運に左右されることもある
ただ裏切られることはそんなに無いと思う、裏切られたと思っても後々考えたらそれも相応の実力だったってことよくあるし

これについて短めですがちょっと今日は書いてみようかなと。

努力と結果の関係性

「努力」というのは何事にも功績を残した際に異常に好んで使われる言葉ですよね。日本人は概して「努力」だとかそういう経過的な部分を神聖視しすぎる側面があるように思います。結果を判断する上においては努力をどれだけしれきたかなんてほとんど意味を成さないのに。英雄譚で語られるのはいつも泥臭い頑張りや挫けそうな過程であり、才能が自分にある程度あっただとか言ってもいいと思うのですがね…。受験の合格体験記なんかでは需要がないのかもしれませんが、下手な希望を持たされるよりはよっぽどマシです(自分の文章を思い出せお前…とは勿論思っている)。

初っ端から毒づいていますが、私は決して努力の存在自体を否定したいわけではありませんし、私の今の立場も概ねは努力の結果だと率直に思っています。何事も努力の上に立つのであって、これを欠くことがあって結果を残せる人はいないと言っていいでしょう。しかし、結果に対する評価が「努力量」という粗雑な一つの変数だけで決まってしまうのであれば、それは暴力的かつ懶惰な評価であると言わざるを得ません。

私的には受験期には「やれるだけの努力はするけど、その結果で届かなかったらそれは本当の意味で力量不足だったのだろう」と思うようにしていました。努力した上で届かなかったのであればそれは自分に到達し得なかった領域であると認識できますし、出てきた結果をすんなり受け止めることができると思うのです。得られて然るべきものは努力がそのまま表れたところに時の機運が上乗せされた結果であり、期待した結果が得られるかどうかは(努力で当落線上まで行けたのであれば)それは「運」で決まってしまうと言えるでしょう。無論、運というパラメータの値域は正負幅広く該当します。

したがって努力という変数は、報われるかどうか(つまり結果を出せるかどうか)を直接的に決定づける変数にはならない、と私は自分の中で結論づけています。つまり結果を判断する上で信頼できるのは努力に裏付けされた実力多少の運ということになるでしょうか。やったことが報われるかを最初から気にしている余裕なんて我々にはないんですよ。

そもそも努力って何さ?

にしても「努力」という言葉って単純すぎますよね。「我武者羅」という言葉と勘違いしてこの言葉を使っている人があまりに多すぎます。
「頑張る」なんてもっとふわっとしていてもっと分かりません。

努力という語彙が曖昧すぎるというよりかは、そこへの含意の閾値の厚みが薄っぺらすぎて努力している人の「努力」が形骸化しているように錯覚してしまう、とでも言うべきでしょう。つまり、「やれば努力はしたと言える」「量を積めば頑張った事になる」という意識が普遍することで本当に頑張っている人も「頑張っている/努力しているのは“同じ”だから、センスの割合が俺と違う」という烙印しか押されないのです。その人が本当にセンスがあってもその人が努力を積まないわけがありません。それに「努力できるセンス」なんて誰しも最も備えうる上、どうすれば伸びるのかなんて考える頭には誰しもなるはずだというのに。そこを所謂センスと片づけるのは簡単ですが、そうなればもうそれまでです。

才能ある人が努力を怠るはずがないわけで、最終的な結果を考えればそれ以上に努力するべきというのは勝つためには然るべき結論なのです。厳しい世界だ。

ただ漫然と基礎練をして走って、毎日それの繰り返し。こんなの誰がみてもほとんど意味がないことなんて分かりきっているのに、多くの人はこれと全く同じことをやってしまう。ただ殊に勉強という土俵においては「ある程度はそれでなんとかなってしまう」し、「その側面が表に出やすい」(他の土俵は語れるほど私は知りません)。これが一番タチが悪い。勉強はスポーツにおいて活躍の場のない者がセンスなしにのし上がれる唯一の道とかと揶揄されたり、定期テストで取れるのに公開試験等になれば太刀打ち出来ない人が生じ、急に伸び悩んで落ちこぼれてしまう人がいたりするのはおそらくはこれが原因でしょう。

精神力

最後にこれとはちょっと違う話ですが、自分を鼓舞する目的以外で「精神力の問題」と思うのも最近はどうなのかなと感じています。あくまで実力とか力量とか、そういうものが自分と比較してどうこうの世界であり、そこに精神力とかを要因にして仕舞えば「実力があってもメンタルのせいで実力が出せない奴だ」という致命的な弱点を自ら作っているだけですからね。だったら「自分の実力はまだまだだったんだなあ」と思った方がずっと清々しいように感じませんか?まあ、受験期にそんな冷静な判断ができていたかは分かりませんがね(笑)。笑い事じゃないか。

さて話したいことは大体このくらいで、全体的に今回は尖った内容の記事になってしまいました。皆さんの思うところを自分の質問箱などにリアクトしていただけるとこちらとしても知見が広まって嬉しいので、是非是非お願いします!!!!

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